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ジークフロイト伯爵が、963年にアルゼット川を見下ろす岩壁の上にリュシリンブルフク
Lucilinburhuc(”小さな城”の意味)を築いた時には、それが後世に世界で最も小さい国の一つとなり、しかし最も豊かな国の誕生につながるなどとは思いもしなかったでしょう。
ローマ街道を横切る戦略的な場所にあって、この「小さな城」は急速に発展しました。ジークフロイト王朝は、婚姻や政治的な協定に基づいて正統な同盟を結んで拡大していきます。中世になると、ルクセンブルク家
House
of
Luxembourgから幾人もの神聖ローマ皇帝を、近隣諸国においては数え切れないほどの王を輩出しました。ルクセンブルク市は、プロシア、オーストリア、ブルゴーニュ、スペインを始めとする外国列強によって包囲されたり占領されたりしてきました。
ウィーン会議によって大公の位が与えられ、オランダのオレンジ・ナッサウ家のギョームⅠ世
William
I王が君主を兼ねることにより、この国の運命が決まりました。ルクセンブルクとオランダの同君連合は1890年まで続きました。この時代に、政治的な独立と自治は強化され、民主主義体制も発展しました。1890年から、大公の位はナッサウ家の古い支流に受け継がれ、ルクセンブルク家は独自の王朝
dynastyを持つことになりました。現在の統治者であるアンリ大公
H.R.H.
Grand Duke Henriは、2000年に彼の父である大公ジャン
Grand
Duke
Jeanから王位を継承しました。ルクセンブルクの行政は、大公と12名の国務大臣によって行われます。立法権は、ルクセンブルク国民であって投票権を有する18歳以上の男女が選出した議会により行使されます。
多くの外国の侵略者達によってルクセンブルク市は破壊されましたが、今度は占領者達となった彼ら(特に、聡明なフランス軍隊の技師ヴォーバン)が、ルクセンブルク市の潜在能力を高めていくことになり、後に「北のジブラルタル」と呼ばれるほど堅牢な難攻不落の要塞都市を創出するに至りました。城塞は三重の城壁と24の城砦によって守られ、要塞の地下には穹窖(きゅうこう)Casematesを結ぶ全長27キロメートルの地下壕が張り巡らされていました。この城塞は、ロンドン条約にしたがって解体される1867年まで、その荘厳さを保ち続けました。この解体作業には20年かかりましたが、すべてを解体してしまうと街全体が壊滅しかねないため、いくつかの城塞構造物は保たれました。ペトリュス渓谷の城塞構造物は、自然の岩を利用して人が築き上げた岸壁に、固い岩を切り出して作った砲門や秘密の通廊が構築された完璧な城塞であるとともに、「ルクセンブルクのノートル・ダム大聖堂」として名高い三層の大聖堂の基礎となっています。1972年、ドイツの偉大な文豪、ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテがこの渓谷を訪れ、自身が渓谷の絵を残しているが、「このような雄大な構造物が、大いなる優雅さと、大いなる厳粛さと、大いなる魅力をもって佇んでいる。この場所で、プーサン(フランスの画家)がその素晴らしい才能を作品に注いでいたならと思わざるを得ない。」と書き残しています。現在、ペトリュス渓谷の公園用地は、平和な安息地であり、路面トレインの「ペトリュス・エクスプレス」が観光客を乗せて、かつての城塞の生活を思い起こさせています。
市内の古い建築物には、諸外国からの襲撃の跡が刻み込まれており、それぞれの占領時代をしのばせます。かつて物見やぐらとして使われていた、いわゆる「スペイン式尖塔」が街のあちらこちらにあります。街のブルボン地区のアール・ヌーボーの壮観な建物ですら、諸外国による侵略の影響を物語っています。グルント地区の石畳の道路に面した修道院はかつて刑務所でしたが、今では文化センターに生まれ変わり、展覧会やコンサートが行われています。市内には、230もの国際銀行のメイン・オフィスがあり、それらの大理石のガラスでできた建物が古代の城壁から空へ向かって突き出しています。新しく出来た「歴史博物館」は、15世紀の音楽院の建物を改築して建てられています。歴史上の建造物と近代建築を巧みに統合させていることは一目でわかるでしょう。
街の主要な広場であるダルム広場
Place
d'Armesは、元々は軍隊がパレードを行う場所でしたが、今は緑に縁取られたレストランやオープン・カフェの聖地であり、市民の「憩いの場」として親しまれています。ゆっくりと腰を落ち着けて地元のビールやワインに舌鼓を打ちながら、静寂と洗練された町並みに浸ってみてはいかがでしょうか。豊かな文化の味わいをきっと感じていただけることでしょう。ここを訪れた人は誰でも足を止め、行きかう人々を眺めたり、散策を楽しんだりしています。かつて外国の軍隊が攻め込んできた広場で、現在は野外音楽堂から流れる音楽に合わせて楽しく行きかう人々の姿がまるで夢のようです。
侵略者の軍隊は、人間の遺産も残していきました。今日でも人口に占める外国人の割合は非常に高く、数世紀に渡るお互いの支配を受け入れながら独自の文化や習慣を育んできました。多くの国々の特色の一番よいところを採り入れ、それを大いなる財産としていることはルクセンブルクの誇りでもあります。攪乳(かくにゅう)器の中に入れた牛乳の上澄みだけをすくい取り、上質のクリームだけを抽出するように、ヨーロッパ文化のよい所を取り出したのがルクセンブルクと言えます。
その一つの例が、ミシェランによって格付けされたレストランの国民あたりの数が、世界中のどの国よりも多いという事実です。特筆すべきレストランとしては、ルクセンブルク市内にあるクレールフロンテーヌ
Clairefontaine、アガタ
Agath、(魚料理専門)、の、エシュテルナッハの、ディーキルシュ
のがあります。これらのレストランはすべてミシェランの星による格付けがされています。もちろん、ミシェランの星が付いているレストランは、これだけではありません。ただし、星が付いていないからおいしくないということではありません。品質にうるさいルクセンブルクでは、ありふれた場所でも素晴らしい食事に出会えることでしょう。よく言われることですが、ルクセンブルクの食べ物
Luxembourg
foodは、フランス料理の優雅さに、ドイツ料理の愛情あふれるもてなしが組み合わさっています。地元の代表的な料理としては、豚肉のスモークとそら豆
Judd
matt Gaardeboùnen、小さい川魚のフライ
Friture
de la
Moselle、カワカマスのリースリング・ワインソース煮、アルデンヌ地方のハム、イノシシ料理などがあります。フリザンジュのレストラン店主レア・リンスター氏は、彼女の独特な伝統料理によってボキューズ・ドールを獲得しました。国民の1/3が外国人というお国柄ですから、至る所でアメリカ、日本、インド、タイ、ロシアを始めとする世界中のレストランを見かけるでしょう。
地理学的な
統計
statisticsによれば、ルクセンブルク大公国の面積は約2千600平方キロメートルで、南北84キロメートル、東西58キロメートル、人口は45万9千500人となっています。この小さな国に、多様な風景が存在することを考えると、これらの数字が偽りなのではないかとさえ思えます。実際、この国の北半分は、1944年のバルジの戦い
Battle
of the Bulgeではアルデンヌ地方の鬱蒼たる森林が戦場となり、ヴィアンデン
Vianden、エッシュ・シュル・シュール
Esch-sur-Sûre、ブールシャイド
Bourscheidなどに点在する丘の上の中世の古城を舞台に戦闘が繰り広げられました。ルクセンブルク市の北東にあるミュラータール
Müllerthal地方は、ルクセンブルクの「小スイス」とも言われ、奇妙な形をした砂岩群の合間に多くの森林が散在しており、適度なロック・クライミングを楽しんだり、縦横に張り巡らせた数百ものハイキング道に沿ってウォーキングを楽しんだりすることができます。中央から南部にかけてのなだらかな農地と森林地帯は「Gutland」(肥沃な土地)と呼ばれています。その東側にはワインの生産で名高いモーゼル川の渓谷があり、南西端の赤土の細長い地域はルクセンブルクの鉄鉱石の源泉となっています。
1850年になって鉄鉱石が再発見されたことがルクセンブルクの転機となり、経済的な自立を果たすことができました。特に、イギリスの裁判所の書記であったシドニー・ギルクリスト・トーマスがほんの余興で発見した、精錬過程で燐を取り除く方法のおかげで、純度の高い鋼鉄を精製することができるようになりました。国の南西端に重要な鉄鉱産業が起こり、数万人の外国人労働者が鉄鉱や製鉄工場で働くようになったおかげで国に富をもたらしました。鉄鋼業界は今日では過去の業績のように言われていますが、その富は決して色あせていません。実際に、ルクセンブルクは卓越した国際金融センターとしての大きな役割を果たしています。1929年に銀行や持株会社を誘致するための財政法が成立して以来、首都ルクセンブルク市には多くの銀行や著名な投資会社が集まってきています。国際金融センターの名のとおり、ルクセンブルクには7千社以上もの持株会社、およそ1千300の投資ファンド、200あまりの銀行
banksがあり、欧州共同体の中でもっとも金融機関が集中しています。この国の金融業界の重要性を示す統計があります。GNPに対して、金融業の資産が占める割合は6:1で、欧州における先進国の割合は1:30です。
ルクセンブルクは、ECU(欧州通貨単位)を大きく後押しすることでユーロ債のセンターとしての重要性を再確認しており、将来的にこのECUへの投資ファンドを、この生まれたばかりだが着実に成長している金融センターへ益々惹き付けることになりそうです。この国で働く人々のマルチリンガルな能力と非常に高い教育レベルが、国内産業に第一級の人材をそろえることを可能とする一方、先進的な技術へのインフラ設備も進み、金融スポットを将来的に支援していくだけの最高の条件が揃っていることを裏付けています。欧州の商業通信衛星であるASTRAを、ルクセンブルクの企業であるSESが所有・管理していることは決して偶然ではありません。
ルクセンブルクに住む人々は、生活の質を何よりも大切にする人たちであり、快適な生活を送っています。自分自身の人生や家族に対して高い価値を求める一方で、自らが提供する品物やサービスの質に対しては誇りを持ち、それでいてその高い基準を決して独り占めすることなく、こうしたライフ・スタイルを喜んで人々と分かち合おうとします。わざわざ訪れて来る人がいたら有頂天になり、しかもそのことを隠そうともしないのがルクセンブルク人です。ただし、たとえ偉い人からの招待状をもらっても喜んで受け取るとは限らないのがルクセンブルク人でもあります。他人をもてなしたり、隣人と一体になりたいという気持ちが強い一方で、ルクセンブルクの人々は常に自らの個性を誇りに思い、また守ろうとします。大国の恣意に翻弄され続けてきたこの国の人々が何よりも大切だと考えているのは、「我々は、あるがままでありたい。」というモットーなのです。
